INTERVIEW

2018.05.07

Interview – artist/Mao Simmons「終わり」の創作から見えてくる、 作家と作品のあたたかな関係性

Interview –  artist/Mao Simmons「終わり」の創作から見えてくる、 作家と作品のあたたかな関係性

命には必ず「はじまり」があり、「終わり」がある。むしろ、「はじまり」があり、「終わり」があるものを命と呼ぶのかもしれない。
それは、生物であっても、機械であっても、道具であっても。

只今開催中のMao Simmonsの個展『FUNERAL』は、今までフジロックをはじめとするさまざまなフェスでのワークショップや、
彼のオリジナルグッズ制作で使ってきた全61点のシルクスクリーンの版の、「道具」としての役割を終わらせるという行為によって生まれた作品がメイン。
通常、作品は、「生む」行為によって生まれるが、今回の彼の作品は、「死」へ導く行為によって生まれている。

そんな思い切った発想によるこの展示は、どんなことをきっかけに、そしてどんなふうにして生まれたのだろうか。
今回のキュレーターであり、QUIET NOISEのスタッフでもある内海織加が、作家 Mao Simmons氏にお話をうかがった。


良し悪しを判断したり書き直したりしない、
変なところも受け入れ愛す創作スタイル

ーシルクスクリーンの版を終わらせる展示をしたいっていう話は、確か、昨年8月にQUIET NOISEで展示してもらった直後くらいに聞いてたんですよね。
それって、なにがきっかけでそういう構想が生まれたんですか?

もともとシルクスクリーンをはじめたのは、2011年のこと。
絵を描いていて、それがTシャツとかバッグとかそういう「モノ」になったらいいなぁ、っていう気持ちからはじまったんです。
渋谷のウエマツさんは、原画から版を起こしてくれるので、当時からお世話になっています。
最初の版は、今回の展示のビジュアルにも使っているドクロモチーフのものなんですけど、
無地のトートバッグとかに刷って友達にプレゼントすると、すごくよろこんでくれて、それが僕もすごくうれしくて。

そこから、少しずつ版を増やして、いろいろなイベントとかフェス会場でシルクプリントしたグッズを販売したり、
ワークショップみたいな感じで持ち物にプリントするようになったんです。
ここ数年は、年に1回フジロックのピラミッドガーデンでブースを持たせていただいていて、
毎年夏に向けて新しい版を作ったりはするんですけど、
結局、ワークショップをしに来てくださる方の選択肢が増えるように、数年前に作っている版もかなり持って行っていて。
でも、ここ数年で、毎回同じ版を使っている感じが、ブースに来てくださってる方に対して申し訳なく感じてきたんですね。
刷っていても、前のような新鮮みや感動が薄れてきたのも自覚していましたし、
複数の絵柄を組み合わせるときの配置も、自分の中のパターンができてきてる感じもしていて。
次第に、一度、自分のレパートリーをリフレッシュしたいっていう気持ちが強くなってきました。
でも、共に歩んできたものですから、作品としてきちんと弔いたいなと思ったんですよね。


ーなるほど、そうなんですね。シルクの版になっている絵は、版にすることを意識して描いているものなんですか?

ここ数年は、夏フェスに向けて版を作っている感じなので、ピラミッドガーデンとか、
記念になりそうなワードやモチーフを入れていたりしますが、普段からいろいろ描きためている中から、
シルクにできそうだなっていうものを版にしているものもあります。

昔から紙に描いているものは、よっぽどの切れ端じゃない限り、全部とってあるんです。
全部自分の作品ですし、全部使えますから。描いたものに関して、できがいいとか悪いとかで判断はしないんです。
それが、鉛筆で描いた線の薄いものであろうが、マジックで落書きみたいに描いたものであろうが、なんでも自分の描いた絵っていう認識で。

何度も納得がいくまで描き直したり、うまく描けなかったものをボツにしたりっていう人もいると思うんですけど、
僕の場合はほとんどそういうことをしないんです。モチーフを決めたら、同じものは描いてせいぜい3回くらい。
個展に向けて描くような絵も、100%描き直すことはありません。たとえ、ちょっと変になっちゃったところがあっても、
「ここちょっと変だけど、それも愛してね」っていう感じで(笑)

ーすごく寛容!肯定できてる感じがすごくいいですね。それに、描きたいときに、描きたいように、描いてるって、
作品のすべてが初期騒動によって描かれているというか。ちなみに、自分が最初に描いたものって覚えてますか?

最初に描いたものは明確には覚えていないんですけど、20代半ばに男5人暮らしをしていた時期があって、
その時に同居人の一人が自転車を購入したんですね。それがダンボールに入った状態で届いたので、
その大きなダンボールにマジックで夢中になって描いたのは、初期の記憶として覚えています。
その絵、今もとってあるんです。
いろんなアイコンとか文章をローマ字表記したものを書いていたりして、ちょっと恥ずかしかったりもするんですけど、
絵がいいとか悪いとかではなくて、その感情がいいなぁと思いますね。
この絵を描きたかった少年は、本当にこの絵が描きたかったんだろうなぁ、っていう。

ーMao Simmonsといえば、ドクロモチーフを思い浮かべる人って、きっと多いですよね。
フェス会場のライブペインティングでもよく描かれているからかもしれませんけど。
今回も、いくつかドクロの作品がありますが、もともとドクロモチーフは好きだったんですか?

実は、ドクロって好きじゃなかったんですよ。なんか、ダサいイメージがあって。
でも、20代半ばで勤めていたCANDLE JUNEさんのお店にもドクロモチーフのものがたくさん置いてありましたし、
JUNEさんにドクロを描いてみたら、って助言をもらったのもあって、描くようになったんですね。
当時は、今よりも全然うまく描けていなくて、それでも描いて、描いて、描き続けていくうちに、ドクロに対しての愛着も湧いてきました。

ドクロを描いてる時って、ドクロを描いている意識はなくて、人の顔を描いているような感覚に近いんですね。
だから、顔もひとつひとつ少しずつちがっているし、喜怒哀楽などの感情や表情があります。
だから、いろいろなところで目にするドクロに対しても、それがリアルなものでもポップなものでも、その表情に注目してしまいますね。

シルクでも、ドクロの版はかなりつくっていて、初期のものは刷りすぎてもうボロボロ。
でも、今の時点では、今後ドクロモチーフの版は作らないかもなって思っていて。もう役割を終えた感覚というか。


ラストプリントをのせる紙素材に込めた、
“ひとつひとつちがっていていい”という気持ち

ー今回の作品をつくる作業って、版を「死」に導くようなことでもありますよね。
今まで刷ってきたのとは一味ちがって、いろいろな思い出や感情と向き合う作業だったと思うんですけど、いかがでしたか?

シルクコラージュのポスター作品に刷って、最後のプリントを刷ってそのまま版を乾かすっていう流れで作品づくりを進めていたんですけど、
最初は特に、最後のひと刷りをしたらこの版はもう使えないだなぁって思うと、ちょっと切なくなったり悲しくなったりしていましたね。かなりの数があるので、
途中は作業に集中できていて、その感情はそんなに強くなかったんですけど、後半に残りの数が見えてくると、また切なさが戻ってきたりして。
10枚のポスターが完成して、同時に全ての版が役割を終えた時は、あー終わったんだなぁって、しみじみと思いましたね。

版それぞれに思い出があって、この版は人気があったなぁとか、この版は好きだけど全然人気なかったなぁとか、
そういうのを刷る短い時間の中で思い出したりかみしめたりしていました。
人気のなかった版とも向きあうので、なんでこれ人気なかったんだろうなぁとか思いながら、
せめて最後のプリントはかっこいいやつに刷ってやろうかな、みたいな感じで紙を選んで。

ーラストプリントは、包装紙とかダンボールとか、生活の中にあるいろいろなものに刷っていますよね。

最初は、普通に白い紙に刷って終わろうと思っていて、数枚は白い紙に刷っているんですけど、
ちょっとそれに違和感を感じた瞬間があったんですね。
この違和感なんだろうなぁって思いながら、何か買い出しが必要になって電車で出かけたんですけど、
そこでホームにいるときに、僕、並ぶべき場所に並んでなかったんで、知らない間に列ができてて。
そこに列びなおさないといけないのかな、なんて思っている時に、ふと、みんなちがっていいんじゃないか、っていうのが頭に浮かんだんです。
統一感もいらないなって。それで、白い紙に刷るんじゃなくて、いろいろなもの、ひとつひとつちがうものに刷ろうと思って。
それに、白い紙に刷ると、今まですごく側にあったものなのに、“一見さん”みたいな感じがしちゃったんです。
それよりは、自分の持ち物に刷って、身内な感じで終わったほうがいいなって思って。

せめてコイツはこれに刷ってあげたいなとか、コイツはなんでもないものに刷っても主役はれるタイプだから大丈夫だなとか、
いろいろ考えながら刷るものを選んでいきました。シンプルな丸が描かれた版は、好きなんですけどワークショップでは全然人気がなくて。
だから、あえてケンタッキーの袋に刷ってあげました(笑)


道具っていうよりは相棒とか友達に近いんですかね。
コイツはこんなヤツだな、みたいな感覚で。
コイツは一人でどこへでも行けるタイプだし、コイツは誰か一緒の方がいいかな、とか。
それぞれの性格みたいなものがあるので、それに合わせて最後に刷るものを選んだというか。
それが白い紙だと成立しなかったっていうことだと思うんです。

フェスのワークショップでは、もちろん、版によって人気のもの、そうでないものは明確で、
優劣みたいなものはできてしまっているんですけど、僕の中ではそういう優劣はないんです。

ーこうして、今までのシルクの版が並んでいるのを見て、あらためていかがですか?

シルクの展示って、今までやったことがないんです。
刷るのも、Tシャツとかバッグとか、アパレル系のものが多かったので、紙に刷ったりポスター作ることも珍しくて。
版自体、レコードみたいに立てて保管しているので、こうして、壁一面に並んでいるのを見たのは、僕自身はじめて。
不思議な感じもありますね。フェスの時も、テーブルに立てかける感じで地面に置いていて、わりと適当に扱ってたので、
みんな作品ヅラして並んでるっていうのは、ちょっとおもしろいし、感慨深いところもあるっていうか。
コイツ、真面目な顔して展示されているけど、本当はそんなヤツじゃないのになぁ、とか(笑)

今まで、いろいろな場所で共にすごしてきたものなので、これがなくなってこれからどうしようっていう気持ちもなかったわけじゃないんですけど、
今は、自分の手を離れていろんな人の手に渡ってくれたらうれしいなぁって思ってます。

ーなんだか、卒業生を一人一人送り出す金八先生みたいに見えてきました(笑)
作家 Mao Simmonsとしては、ひとつの節目を迎えて、次、また新たな一歩を踏み出すタイミングだと思いますが、今の心境はいかがですか?

今は、やってみたいことがたくさんありますね。
新しいシルクの版を作りたいというよりは、壁画をもっと描きたいとか、海外で展示してみたいとか、新しいことにチャレンジしてみたいとか。
ついこの間までは、また夏までにシルクの版をたくさん作らなくちゃって思ってたんですけど、今は、ほかにもやってみたいことがいろいろ見えてきちゃって。
これやってみたいからこれやろう!って感じで、いろいろやっていこうかと。僕の人生、だいたいそんな感じなんです(笑)

ー今回、シルクの版を手放したことによって、新しい創作の扉が開いた感じですかね。これからの活動や作品もとても楽しみです!ありがとうございました!


Mao Simmons氏の今までの作品の多くは、ドクロや十字架が多く描かれ、ちょっとした毒っ気も魅力のひとつ。
しかし、そのどれもが、不思議な風通しの良さというか、明るくてちゃんと太陽を浴びているような健やかさを感じる。
それって、なんだろうと思っていたけれど、今回お話をお聞きしてみて、それは、きっと彼の寛容さと素直さ、そして作家と作品の間に存在する、
なんともあたたかい関係性なのだと思った。

今回展示してある版は、ひとつの「死」ではあるのだけど、同時に「生」でもある。
すごく前向きで、元気をもらえるようなエネルギーも兼ね備えている。「終わり」や「死」というものは、本来、そういうものなのかもしれないなと、気付かされた。

絵って、心の窓の役割を果たしてくれるものだと思う。
眺めていると、締め切っていた心に少し風が吹いて、いろいろな景色を見せてくれたりする、そんな存在。
今回のMao Simmons氏の作品も、窓だ。
何か特別なことを感じるとか、心を揺さぶられるとか、そういうことよりも、朝目覚めたら部屋の窓を開けるみたいに、
たまに作品と目を合わせたいような気持ちになる、そんな作品だ。

会期は9日(水)まで。個性あふれる作品たちに会いに、ぜひお越しください。
作家と作品たちと一緒にお待ちしております。




■展示情報はこちらからどうぞ
http://www.quietnoise.jp/event/mao-simmons-exhibition-funeral.html

【Mao Simmons(マオシモンズ)】
キュートでポップな作風の中にどこか毒っ気のある鋭さを持ち、平面/立体にも捉われず、様々な手法で表現するアーティストMao Simmons。
バスキアなどのストリートアートに影響を受け、たくさんのキャラクターやメッセージがキャンバスいっぱいに描かれた作品には、
彼らしい素直な目で見たヒトやものごとの表裏が反映されている。
国内の野外フェスティバルでのサインペインティングや神出鬼没なシルクスクリーンのワークショップなどで評判を得、
都内、地方都市で 定期的に開催される個展やファッションブランドへのデザイン提供など、その活躍の場を広げている。
http://maosimmons.com/

【内海 織加 (うちうみ おりか)】
編集者/ライター/QUIET NOISEスタッフ・キュレーター
新潟県生まれ。ライフスタイル提案やカルチャー記事、インタビュー記事を中心に幅広いジャンルで執筆。ライフワークは、訪れる先々での狛犬チェック。
好きなアートの楽しみ方は、気になったものを全力で浴び、じたばたせずにじっと待って、最後の最後に残ったものをじっくり観察する、というもの。
実は、「QUIET NOISE」の名付け親でもある。

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