INTERVIEW

2018.02.21

Interview – 美術家/市川孝典

Interview – 美術家/市川孝典

Photo : Yosuke Torii
Text : Takiko Nishiki

日常の中の、ごくありふれたほんの些細な情景や感触も、やがて輪郭が薄れてゆく。
もろもろと崩れるようにしておぼろげになり、気配だけがぼんやりと残る。
光の粒のようになったはかない残像。それがひと知れず消え去っていってしまったことさえ、きっと意識のうえにはのぼらない。
悲しいかな、ひとはたとえ記憶(のかけら)が自らのなかに留まり、あるいは漂うことがあったとしても、いつまでも体験したときのようには憶えていられないものです。

市川孝典氏はこれまで、移ろいゆく記憶を慈しむように、またそれがたち消えてしまうことを恐れるようにして、自分の記憶のなかだけに存在する情景を描いてきました。

自らが体験してきたことをベースに制作に取り組んできた市川氏が、今回はまったく新しい試みに臨みました。
それは、他者の記録や記憶をもとにした創作です。
一言で他者といっても、交流があったり敬意を抱いているような近しいひとから、まったく接点のない赤の他人までいます。
今回はふたつの展覧会を通じて、「他者」の記憶(記録)をベースにした作品を展開しています。

Basement GINZAで開催中の展覧会「sprinkling A-side」における「他者」は、写真家・鬼海弘雄の写真作品です。

鬼海氏は、とりとめもない日常のなかに身を置く人物ないし景観をファインダー越しに見つめます。
相手が抱く尊厳、また立ちこめるようにして薫ってくる空気感といった、普段は目に見えないが確かにまとっているものをあぶりだす。
彼が対象といかに真摯に向き合っているかというのは、静謐さのなかに緊張感をはらんだ作品を目の当たりにすれば一目瞭然。
観るものもそれ相応の覚悟を持たずには対峙できません。

「僕の友人、いしいしんじ氏の家にあった写真集『Persona』(草思社 2003年)が出逢いだった」と、市川氏は当時の興奮が今もなお冷めやらないようすで話してくれました。
時を経て、ひょんなことから雑誌のインタビュー企画に際して市川氏のポートレイト写真を鬼海氏が撮影する機会がめぐってきて以来、ふたりの交流が始まります。
鬼海氏をこよなく敬愛する市川氏の心のなかには、彼だけの記憶として鬼海氏の写真のなかの世界が刻まれています。
本展を機にふたりの作品を並列してみてみると、被写体への敬意を感じながらも一定の距離感を保つ鬼海氏ならではのスタンスが確立されている一方で、市川氏の描く作品からは描かれた対象に向けられた親密さがほとばしります。
写真家・鬼海弘雄にとっての記憶の断片のあらわれが市川氏の感情に揺さぶりをかけ、やがて血肉となって彼の記憶に溶け込んでいく。
市川氏のことばを借りるならば、「鬼海作品に登場するひとたちは、僕の記憶のなかに生きているひと」。
鬼海作品通じた疑似体験がベースにありながら、もはや彼だけの記憶になっている。
自らの深部から放たれた表現だからこそ、芯のある凄みを醸しています。
自分なりに筋の通ったモノの見方をする者同士、キャリアや世代を超えて共鳴し合い、ひいては作品を通じた競演が成立するのでしょう。


鬼海弘雄『Persona』(草思社 2003年)



BasementGINZA展示風景

一方、QUIET NOISE(池ノ上)で開催中の展覧会「slip out」における「他者」は、赤の他人がSNSにアップロードした画像イメージです。
SNSの爆発的な普及により、視覚的に強いインパクトを与える画像データが洪水のごとく更新され、他者のごく個人的な日常、その記憶や記録が絶えず流れ込んでくるようになりました。
実体験を伴わない他者の記憶であっても、それを観た側は意図せず想像力を働かせ、自らのそれと擦り合わせるようにして、さも経験したかのような気にさせられます。

本作において市川氏が着目したのは、SNSがもたらす時間と記憶のズレでした。
ローディングを示す白い円とともにあらわれるおぼろげな像。
鮮明に表示される直前のほんの一瞬だけ、他者の記憶と市川氏との記憶とが重なり合います。
他者の記憶が近づき、市川氏のそれとすり変わる。
そんな束の間のシンクロも、ローディングが終わる瞬間がやってきたら最後、我が身からするするとこぼれ落ち、たちまち他者の元へと戻ってゆく。
しまいには自分のもとには何も残らず、すべて消えてしまいます。
作品の中央に描かれているあの白い円は、おぼろげな記憶の儚さを物語っているように思えてなりません。



QUIET NOISE展示風景

そもそも、市川氏のなかの記憶、そして描いているときの心のなかに映し出されるイメージはどんな色を帯びているのだろう?そんな疑問が浮かびました。
思い切って訊ねたみたところ、いずれもカラーなのだと即答。
そして、自らの黒についての考えを話してくれました。
「黒はカラフルな色だと思ってきました。黒はいろんな色を含んでいる。そのなかに、複雑な色を感じています。」
自分の心のなかにある豊かな感情や色彩を伴った記憶を描こうとしたら、彼にとって最も鮮やかな黒を用いたモノクローム以上にふさわしい表し方はないのです。

彼の記憶として溶け込んだ鬼海氏の写真世界とは、言うまでもないことですが市川氏にとってかけがえのない存在です。
だから表面的な色彩を排して、湿度を持たせる必要がありました。それゆえに、本作はモノクロームで描かれています。
一方で、赤の他人が公開したSNSの画像には、彼の記憶や鬼海作品のような感情的な思い入れはありません。
自らの経験ではないものをもとに描くとき、彼の「気持ちはモノクローム」なのだと言います。
より客観的な視点に立てば、いろんなものが削ぎ落とされてゆく。
すべてを省いた結果が、カラーで描かれた作品世界なのです。
「彼の心のなかを映し出す色彩と、実際に描かれた作品世界の帯びる色とが真逆である」
この衝撃的な逆転現象を念頭に入れて、今一度作品を見つめてみる。
そうすると、市川氏の作品世界の深層まで潜り込むことができるかもしれません。

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《展示情報はこちらからどうぞ》
▼市川孝典 × 鬼海弘雄「sprinkling A-side」(開催中〜3/9(fri))▼
http://basementginza.jp/ev20180208_20180309/

▼KOSUKE ICHIKAWA EXHIBITION 「slip out」(開催中〜3/4(sun))▼
http://www.quietnoise.jp/event/kosuke-ichikawa-exhibition-slip-out.html

【 錦 多希子 (にしき たきこ) 】
1984年東京生まれ。2012年より東京・恵比寿にあるアートブックショップ+ギャラリーPOSTに勤務。店頭対応のほかに、ウェブサイト上で新着本の紹介を更新する。その傍らに、CLUÉL hommeやPen onlineでの連載などの執筆を手がける。
http://www.post-books.info

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